OSAKAぶらこうじ見聞記   ◆蕪村のふるさと毛馬

ぶらこうじカルテ  No. R-020-1     名称:蕪村のふるさと毛馬

場所:大阪市都島区毛馬町           ぶらこうじ指数:42       =治水事業の拠点としての産業遺産地区=

印象:今回は、コロナ禍以来、久しぶりの踏査となった。地下鉄都島駅3番出口に集合し、「駒つなぎの樟」、「毛馬桜之宮公園」、「春風橋」、

「淀川神社」、「蕪村公園」を経て淀川大堰まで歩く。

・「駒つなぎの樟」の周辺は、平安時代は源頼光の荘園であったが、頼光の家来で鬼退治で有名な渡辺綱が馬をつないだということから、「駒つなぎの樟」の名が付いたという。樹は戦災で枯死したと言うが、今でも倒れず存在感を示しており、歴史の長さと生命力の強さを感じる。

・「蕪村公園」は、面積1haのそこそこの大きさの公園だが、与謝野蕪村の俳句を刻んだ13の石碑が公園を囲むように配置してある。「春の海 終日 のたりのたりかな」(須磨の海を詠んだという)、「なの花や 月は東に 日は西に」(毛馬から松屋町界隈を詠んだという)など、俳句音痴の小生でも馴染みのある句を探すのも楽しい。

・「蕪村公園」から数分で淀川大堰に着く。洗堰、毛馬水門、毛馬閘門で、新淀川と大川(旧淀川)の水位や運行を調整し、淀川と大阪市街地への水をコントロールしている重要拠点である。近くには、今では使命を終えた毛馬第一閘門、毛馬第二閘門が、保存残置されているが、草に覆われたラピュタのようになっていた。産業遺産に指定されいるようだが、もっと丁寧に整備し、現在の大阪の基盤を作った治水思想を肌で感じる場所として、教育資源や観光資源として活用してはどうかと思う。淀川改修工事に心血を注いだ「沖野忠雄」の銅像のポツンと立つ姿が寂し気に見えた。 

・話を蕪村に戻す。蕪村は毛馬村を出たあと江戸・丹後・京都・讃岐などで俳人・画家として活躍し、結局毛馬村に戻ることはなかった。その毛馬村は、淀川の治水工事で水の底にある。淀川の堤に蕪村の石碑は建っている。句は「春風や 堤長うして 家遠し」。(室井 2023.4)

ぶらこうじカルテ  No. R-020-2     名称:蕪村のふるさと毛馬       

場所:大阪市都島区毛馬町           ぶらこうじ指数:42       =治水事業の拠点としての産業遺産地区= 

毛馬第一閘門は明治の産業遺産で、国の重要文化財に指定されている。レンガ壁と観音開きの鉄扉が特徴。

大正期に出来た第二閘門は残っていないが、その途上に残る眼鏡橋で市街地に下りる。

大川の入口にある毛馬の蕪村公園。故郷の毛馬を詠んだ13の有名句の句碑が並んで美しい公園。

蕪村を祀った淀川神社。左手に蕪村の銅像がある。生きているような目つきの狛犬一対がかわいい。

1974年完成の現在の毛馬閘門は3代目である。左側は水を流すため、右側は船を通すための堰 

蕪村「春風や堤長うして家遠し」の句に因む春風橋。阪神高速線の下をくぐり城北川を渡る。  

 

(清水h 2023.4)

ぶらこうじカルテ  No. R-020-3     名称:蕪村のふるさと毛馬   

場所:大阪市都島区毛馬町           ぶらこうじ指数:42       =治水事業の拠点としての産業遺産地区=

コロナ禍のため中断していた久しぶりのぶらこうじ再開は都島毛馬巡りである。予備知識なしで大阪市北東の毛馬めぐりをした。

地下鉄都島駅から最初に訪れたところは、都島工業高校近くの綱の駒繋ぎゆかりの神社である。酒呑童子退治で有名な源頼光の家臣だが、何故こんなところに縁があるのかと思った。調べると頼光の所領地は兵庫の多田地区からこの都島に広がる摂津国であった。

続くは江戸時代の俳人与謝野蕪村の生誕の毛馬村地区である。淀川神社、蕪村公園、蕪村の碑が続いている。毛馬の閘門までの河沿いの散策路は良く整備されており快適である。蕪村の江戸時代はどのような風景であったろうか。 

毛馬の閘門および水門地区は取水等の要地であり、今日も大掛かの工事が進行中であった。近くには明治時代の閘門跡、また江戸時代の治水用の城石が遺されており、苦労のあった昔が偲ばれる。また、閘門の真上を伊丹空港に着陸する飛行機が通過した。(三塩 2023.4)

ぶらこうじカルテ  No. R-020-4     名称:蕪村のふるさと毛馬   

場所:大阪市都島区毛馬町           ぶらこうじ指数:42       =治水事業の拠点としての産業遺産地区=

場所:大阪市都島・毛馬方面

印象:久々に再開したぶらこうじ、今回は市内中心部から東北の方角に当たる与謝蕪村の生誕の地都島・毛馬方面を訪ねる。地下鉄・都島駅をスタート、住宅街を抜け、大川左岸沿いに上流にある毛馬を目指す。大川沿いは、春先には桜が咲き誇るほっと一息つける都会の憩いの空間である。毛馬地点で新しい淀川がつけかえられるまで本流であった大川は旧淀川とも呼ばれている。その合流近くに、蕪村の功績を偲び彼の系譜や作品などを紹介したオープンミュージアムが蕪村公園として市民に親しまれている。その説明にあった“澱川“という表記が、「春風や 堤長うして 家遠し」の句とあいまって、この地の往時の茫漠たる風景を彷彿させる。

 淀川との合流地点には毛馬の閘門が現存し、淀川と大川との船舶の往来に使われている。もともとは、この閘門の少し下流側に第一、第二閘門があったようで、旧の第一閘門の遺構は、ポケットパークとして整備されている。両側をレンガ積みされた船溜まりとその前後を鉄製の扉で囲まれた構造は現在のものとほぼ同じスケールでその存在感に圧倒される。

 大川右岸の帰り道、こんなところにと造船所が突然現れる。これも水都大阪を象徴する一つの原風景かもしれない。(吉田 2023.4)