随筆   「大阪の渡し船はなぜ無料?」    

我が国で「渡し船」というと、東京の「矢切の渡し」が有名だ。ベニスのゴンドラのように世界的に知られているという訳ではないが、フーテンの寅さんの映画でもおなじみの葛飾柴又の江戸川堤に渡船場があって、地元民の利用だけでなく、景色も良いので観光名所としても賑わっている。「矢切の渡し」は公営交通なので乗船料は片道二百円と安いのも人気がある。

一方「水の都」を自認する大阪市の渡し船は、現在でも八か所もあるのだが、このことを知っている人は意外と少ない。さらに、大阪の渡し船は全て無料だと知ると驚く人が多い。

大阪の渡船場については以前に「ぶらこうじ踏査」の余話として室井明氏も書いていたが、大正八年制定の旧道路法により、大阪市では「渡し船」は道路の付属物として「橋」と同じに扱うという趣旨だった。そのため民営だった渡し船は大阪市の経営に引き継がれることになって、それに伴い乗船料は無料となった。

昭和八年の記録によれば安治川には十二の市営渡船場があって、年間千八百万人の乗客と三百六十万台の自転車を運んでいた。同じ年、大阪市全体では三十二の渡し船があり、四千四百四十万人の乗客と千百万台の自転車を乗せていた。その後、乗船待ちの行列がどんどん長くなってきたので、昭和十九年には渡し船の代わりとなる安治川水底トンネルが作られ、長さ八十メートル・通行無料で、人と自転車のエレベーターのほか、自動車用エレベーターまで作られた。我が国の水底トンネルの草分けだが、このうち自動車用エレベーターのほうは今では使われていない。

安治川には現在このトンネルと並行して渡し船も一か所だけ残っているが、無料だとは言っても観光ルートではないので観光客の姿はあまり見あたらない。その天保山渡船場では通勤通学時間帯は十五分おきに船が出ていて、今も地元の人たちでにぎわっている。

安治川といえば明治時代までは大阪の舟運の大動脈であったので、橋がかけられなかったため船が活用されたわけだが、現在もこの流域に中之島、旧居留地、USJ、天保山海遊館、夢洲万博会場という集客拠点があり、2025年大阪万博に向けて舟運を観光に生かすにはまたとない好条件の地域と思われる。

                        2023.6 清水治彦